なぜ感情論で議論するのだろうか?
感情のぶつかり合いになったら、感情が落ち着くまで本質のない無意味な議論が展開されるとは思わないのだろうか?
感情さえ折り合いがつけば内容はどうでも良いのだろうか?
感情と内容が伴ってこそ議論の終結があるのだと思うが、感情論を持ち出したときに、相手の言い分を考慮できるのだろうか?
感情論であるのに、自身の意見は論理的であると信じて疑わないのだろうか?
だとすれば、相手が論理的に意見の整理をした際にそれを反論と解釈して「酷い」と切り捨てるのは何故だろうか?
論理的であるならば意見の整理にも理解を示せるのではないのだろうか?
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